舛添都知事に見るコモンズの悲劇

コモンズの悲劇という経済の法則がある。


コモンズの悲劇(コモンズのひげき、英: Tragedy of the Commons)とは、多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうという経済学における法則。

共有資源を税金に置き換えれば、まさにこの状況が起きていると言える。
大量にプールされている税金を自由に使えるとなれば、間違いを犯してしまう人も多いだろう。

自営業や農業などは税金の対象となる
所得の捕捉が難しく、クロヨン、トーゴサンピンなどと表現されるが、家族旅行や食事など明らかに仕事と関係ない支出を経費計上した事がある人も多いのではないだろうか。
(税務署で「経費が少なすぎますよ」と言われた、という話も聞いたことがある)

舛添都知事を擁護するわけではなく、
潔さの欠片もない態度には呆れるばかりだが、無駄使いや関係のない支出を防ぐ仕組みがなぜなかったのだろう、と疑問を抱く。
ファーストクラスに乗ってもエコノミークラスに乗っても同じなら、誰でもファーストクラスを選ぶはずだ。
公私混同や無駄使いを抑止する仕組みがなかったためにこういった事態が起きているにも関わらず、舛添氏個人のモラルの問題に矮小化されている気がしてならない。

公費を利用した場合や公的な活動をした場合は全て情報を公開する形にしておけば、違う展開になっていたはずだ。
情報公開請求なりをすれば取得できるのかもしれないが、手続きをしないと情報が得られないというのではなく、誰でも簡単にアクセス出来る形にして、衆人環視の状況を作ることが不適切な支出を抑止するインセンティブになるのではないだろうか。