考える事のコスト

他者に対して、

「ちょっと考えてみればわかる事なのに」

「ロジカルに考えればおかしい」

などと思った経験がある人も多いだろう。

自分もどちらかと言えばそのタイプで、ロジカルに考えたり物事の矛盾を指摘したりするのが好きなタイプ(ともすれば屁理屈屋)であるのだが、世の中には「そもそも考える事が好きではない」人も存在しているのだという事実に気づいた。

そういう人にとっては考える事は負担であり、ストレスであり、コストになる。

 

「考える事が苦手」というのは、少しネガティブな表現になってしまうが、例えば身近な例で言えば「運動が苦手」「運動音痴」というのに近い。

 

運動が苦手な人がスポーツをやらないように、考える事が苦手な人はこ難しい本を読んだり、理屈っぽい議論を交わしたりはしないのだ。