水に落ちた犬は打つな

「水に落ちた犬は打て」という言葉がある。元々あった「水に落ちた犬は打つな」ということわざを魯迅がひっくり返して作った慣用句らしい。

元々の意味は、勝敗が決したら相手にはそれ以上攻撃を加えないのが武士の礼儀だ、という意味で、転じてつくられた方は、犬は道義を理解しないのだから徹底的にやりこめるべき、という意味のようだ。

本来の用法ではないかもしれないが、昨今の芸能報道を見て、「水に落ちた犬を打つ」という表現が浮かんだ。
倫理的に誤った事をしてしまった人を徹底的に叩き、「余罪」も調べあげて社会的に抹殺するレベルまで追い込む。
そこには視聴者や購読者のニーズがあり、そういった報道をすれば視聴率が上がり、発行部数が増えて売り上げが増えるから、という理由からの行動だとすれば、視聴者や購読者も同罪かもしれない。
確かに、売れっ子タレントや高収入のエリートが凋落する様を見て溜飲を下げたり、それを酒の肴や会話のネタにする気持ちはわからないではない。
しかし、それが明確な犯罪行為であるならいざ知らず、ある種の内輪揉めの類であるならば、一歩立ち止まり「武士の情け」をかけるのもありなのではないかと
ふと考えてしまった。