読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

女性が「限定」に弱いワケ

特に女性は、「期間限定」「今だけ」といった唄い文句に弱くついつい物を買ってしまったりサービスを契約してしまったりすふ傾向がある気がする。

メスが生存するための本能として、特別扱い(つまり外敵から守ってくれたり食べ物を取って来てくれたりする)してくれるオスを好きになるような遺伝的特性を持つようになったという仮説は自然に思え、人間においても同じような傾向が見られると言われている。

「限定」「特別」というのがオス(男性)の態度でなく商品の売り文句だったとしてもそれを好むというのは興味深い。



懸賞のギモン

食品などの懸賞で
「1枚のハガキで複数口応募可能」
というパターンが時々ある。

抽選をする際の自分の勝手なイメージとしては、集まった大量の応募ハガキを大きな箱に入れてそこから当選枚数分だけ
選ぶ、という感じだが、1枚で複数口応募可能な場合はその抽選方式ではNGである。
1口応募からx口応募の人まで混在しているので、それぞれの応募口数を確認して1口の当たりやすさを調整しなければならない。
必然的に各ハガキを1枚づつ確認して何らかの形でリスト化する必要が出てくる。 おそらく手作業が必要だろうから
かなり面倒ではある。

一方で1枚で複数口応募が可能な場合は
応募期限までは同じ商品を継続して購入する促す効果があると考えられる。

応募ハガキを1枚づつ確認して情報を入力したりする労力<複数口応募によって1口応募より増えた売上(利益)

という図式が成り立てば、複数口応募にする意味がありそうだ。

寛容な社会

  • 混雑した電車で体が触れただけで、すごく不快そうに睨みつける
  • 報告資料のフォントが一部違っているだけで厳しく指摘し、やり直しをさせる
  • ネットショッピングで注文した商品が時間指定に10分間に合わなかっただけで配達員に悪態をつき、SNSにアップする

よくある話だと思う。
経済成長の鈍化、少子高齢化、何が原因かはわからないが、どうも昨今の社会は寛容さを失っている気がしてならない。

昨今よく見られるシチュエーションとして、芸能人が不倫したと聞けば
「イメージが壊れた」
「信じてたのに」
などと宣い、好奇の目で見る。

TVに映る姿はその人の一部(仕事上のキャラクター)でしかないし、「信じてた」などというのは完全に後付けであって、普段は対象の人物に興味すら持っていなかったというのが実態だろう。
犯罪を犯したわけでもなく、あくまで個人的な問題に対して全力で叩き、引退や休業に追い込む行為は異常だと言わざるを得ない。

人々が古き良き時代に持っていた優しさや余裕を失ってしまったのか、はたまた昔から民衆はゴシップ好きなものであり、単に発信する手段を持っていなかっただけなのかを知る由はないが、もう少し寛容な社会を皆で志向してもよいのではないかと思う次第。

想像力を身につけるには

特に学生の頃など、朝8時台ぐらいの電車で熟睡している人を見ると、「朝早い時間でもないのに、よくこんなに眠れるな」と疑問に思っていたが、社会には

  • 夜勤明けで帰宅する人
  • 早朝から子供のお弁当を作り、保育園等に送ってから出勤する人
  • 前日接待等で遅くなり十分な睡眠が取れなかった人
  • ストレスによる不眠でなかなか眠れない人

など(他にもまだまだあるだろうが)、色々な人がいる事を知り、また自分も近しい状態を体験した事で納得できるようになった。他者への想像力がついた、と言えるだろう。
身をもって体験した事のない事はなかなか想像がつかないし、理解もしづらい。



20%ルール

日々の業務において、何か急な作業が入ったり突発的な案件が舞い込んでくる事がよくあると思うが、バッファを持たずスケジュールを詰め込んでしまうとスケジュールの調整にまた時間がかかり、
余計な工数が増えてしまうことがよくある。

Googleで業務時間の20%は今担当している業務以外に充てるルールがあるというのは比較的有名な話。

その時間に担当業務外の事をやるかどうかはさておき、20%ぐらいのバッファを持っておくのは重要だと感じる。


働き方改革


働き方方改革に多額の予算が投じられるらしい。

下記のような簡単なルールを策定するだけでかなり改善されそうな気がするが。

  • 給与は決められた目標の達成度に応じてのみ支払われる
        (プロセスや労働時間は考慮しな  い)
  • 指定された資格を取得しなかったり
        e-learning等を受講しなかった場合  
        はマイナス評価の対象
  • どこからでもセキュアにアクセス可能な端末(または仕組み)が各自に提供される



「流れ」はあるか?

ギャンブルでよく「流れ」があるとかないとかいった話が出てくるが、十分な試行回数を経れば確率通りに収束するのはよく知られた話だ。
流れがあったから連勝した、連敗したというのは単純に連勝や連敗が印象に残りやすいからというだけの話である。

また勝負の途中で勝っている方は選択肢が多い事によってより勝ちやすい環境にあるが、負けている方は一発逆転を狙いがちで稀にそれが成功するものの大抵はより負けが込むという結果を招く事になる。

論理的・科学的に考えれば至極当然な事を勝負事においては考えなくなってしまう人が比較的多い事が不思議ではあるが、エンターテインメントとして考えると確率や損得を冷静に考えるよりは何も考えずに一喜一憂する方が楽しめるということなのだろう。